4月 21

町広報誌の「ジュニア柳壇」の選者を務めて何年になるだろう。

それと同時に、川柳を作ったことのある子どもたちが何人、中学、高校へと歩んでいったのだろう。

いつか、広報誌の川柳で特選をとったことがある、ということが周りや先生から一目置かれる瞬間があると思う。

いつか、CMなどのキャッチコピーを見て、「こういう表現もあるんだ」と感心することもあるだろう。

いつか・・・いつか・・・いつか。

その花開く音が一つでも多く聞こえますように。

3月 29

毎日新聞社から電話。
親父が担当していた毎日柳壇の選者の件。

毎日新聞社の青森支局へ出向く。
父が倒れてから休載していたコーナーを再開したいので、選者を依頼したいとのこと。
「私でも構わなければ」と断って、承諾。
というのは、自分でネックになっていたのが柳号の「Sin」が読者に受け入れられるかどうかの一つ。
そのへんを支局長の安部さんに打ち明けると、
「そういう声があれば、紙上で議論することも出来ますし」と言ってくれた。

それでも、一応、父が復帰するまでの間という限定期間だと思っている。

3月 19

いろいろと不安もあったが、昨日、母が思い切って外泊の許可をとり、父を家へ連れてきた。

たまに違う刺激を与えようと思ったのと、今後のための練習も兼ねて。

住み慣れた家なので、トイレの場所など、行動はスムーズ。

こっちの不安をよそに、娘たちが「じいじ」と遊ぶ。

がやがやと夕食をとる。

部屋の戸を開け、ふっと見た場面は、父が倒れる前となんら変わりのない風景だった。

とても不思議な感覚だった。

2月 29

父が倒れてから、4週間が経った。

今回で、北野岸柳の経過について、第一幕を終えようと思う。

その理由として、現在の脳の症状として、回復する見込みがほとんどないと先生から言われた。
やはり、心肺停止の影響は思ったより強く、脳のダメージは元通りになることは難しいと診断された。

これから、他の病院で身体的、メンタル的のリハビリを続け、
あとはどこまで介護の負担がないように回復させるかどうかになってくる。
楽観的な希望は持たず、これから家族は「現実」と向き合わなければならない。
もう回復する見込みがないという前提で、今後いろいろな事をすすめていこうと思う。
本人もずっと心臓に爆弾を抱えたまま生きていくことになる。
ただ一つ、一縷の望みを心の片隅に置いておくとしたら、
父のような心筋梗塞で心肺停止した患者は、100人いれば98~99人は亡くなるそうだ。
それを証明するかのように、父の入院中にも、病棟の廊下には、喧騒と嗚咽が繰り返されていた。
父のような回復例は「グッドリカバリー」といって、奇跡に近い回復例といっても過言ではない。
だとすると、こういう稀なケースの回復サンプル数もそれと比例してかなり少ないはず。
医師にも予想がつかないケースでもあり、医師が驚く回復劇が待っているかもしれない。
それをあとは心の支えにするしかない。

青森市内の病院は以前、満床状態。
見学がてら、母と「生協さくら病院」へ相談に。
1月3日の父のブログを改めて読み返すと、これは、アルコールが切れたための離脱症状だったのだろう。
やはり倒れる前は、アルコール依存症だった可能性が高い。
このブログが本人からのSOSだったのだろうが、直接訴えてくれてればと思う。
言ったら言ったで、酒断ちさせられるのが嫌だったのかもしれないが。
相談した西脇院長と父が知り合いだったようだ。
西脇院長の出版記念パーティの司会を父が務めたらしい。
ベッドの空き状況を確認してもらい、3月3日に転院することにした。
毎日の付き添いも必要ないらしい。

その間に、父が勝手に立ち歩き、廊下で転んだと電話が入る。
肘をぶつけたらしく、念のためレントゲンをとることに。
出かける前に看護師へ「少し出かけてきます」と伝えてから出かけたのに、
「出かける時は言ってからにしてください」と逆ギレされた。
なんなんだ、この看護師は。
目を離した隙に転んでしまったのはしょうがないとしても、
自分たちの伝達ミスを棚に上げて、私たちに確認もせず、怒りつけてくるなんて考えられない。
きちんと抗議し、謝っていただいた。
被害妄想かもしれないが、もうスタッフ全員が「まだ転院しないの?」というふうに言っている顔に見える。

回復の見込みがないと聞かされてから、

「そろそろ川柳書きたくなってきたんじゃない?」と僕は父に尋ねた。

しかし、父は首を横に振った。

「そうだよね、もう充分書いてきたしね。もう充分やったよ。 」と言って、

それに頷く父を見ながら、心の中で「北野岸柳」に別れを告げた。

のんでのんでのんで 男は風になる   北野岸柳

2月 24

父が入院してから、洋燈句会、おかじょうき本社句会と滞りなく終えた。

これまでも、選挙やらなにやらで句会にいなかったことはあった。
その時と何も変わらないはずなのに、何故か空気が違う。

父が回復するまでには、まだまだ時間がかかりそうなので、
それまでの間、代表代行をむさしさんが務めることに。

結構、このブログを見てくれている方が多いらしく、
書いたエピソードなんかもお見舞いに来てくれた人の口から
出てきたりもする。

ただ、この場にでも書いていない、または書けないこともある。
ここに書いてあることが全てではないことを理解してほしい。

2月 20

身体的な回復は、目に見えて良くなっている。

  • 自分で起き上がることが出来、ぐらぐらせず座っていられるようになった。
  • ご飯も自分で食べれるようになった。
  • リハビリでは、廊下の手すりにつかまり、歩行練習まで進んでいる。歩けるようになるまでそう時間はかからなそうだ。
  • 字も少なからず書けるようになってきた。字も岸柳書体は相変わらず。

転院のはなし。

青森市内のリハビリ病院は軒並み満床状態だという。
ここ近年でも例がないくらいの状態だと言う。

明らかな理由はわからないが、

  • 高齢者の増加
  • リハビリということから一人の入院期間が長い
  • 一人暮らしの高齢者が退院したくても、受け手がなく、退院できずにいる

などが、主な理由だろう。
同じ病棟の転院希望者は、2ヶ月も待っているそうだ。(その間に回復してしまいそうな気もするが・・笑)
いずれにしても早い決断をしないと後手後手になってしまう。

昨晩は、花巻から父の妹さんが来て、付き添いを代わってくれることに。

2月 19

付き添いの母から電話があった。
先生から以下のようなことを言われたらしい。

・心臓については心筋梗塞発症から2週間が経過した。

・現在、点滴もしておらず、薬だけの処方。

・カテーテル治療がこれから必要だが、これは明日しても1年後にしても変わらない。

・なので、現状況ではカテーテルはまだ行わない方針。

・そうなると、県病(循環器科)での治療は一段落したので、退院しなければならない。

・自宅でリハビリを続けるか、リハビリ目的で他の病院へ転院してもらうか決めてほしい。

と、まぁ、こんなところ。

父が入院してからも、生死をさまよった救急患者が次々と運ばれてくるのを見れば、
それなりに回復して治療も薬だけの患者のベッドは早く空けてほしいところだろう。
父が倒れた時、県病に空きがなかったらと思うと、ここは素直に従うしかないかなと思う。

明日、県病側とこれからについての話し合い。

リハビリの先生が来て、

「私の言った言葉を繰り返してください。」

「はい」

「りんご」

「・・・アップル」
・・・わざと、ふざけてる?(笑)

2月 16

前日の洋燈の句会、懇親会終了後、病院へ。
付き添いしている母と交代。

なんか、父親とこんな形で添い寝するとはなぁ・・・。
こんなケースじゃなきゃ、絶対ありえないだろうな (笑)

願望からくる感覚なのかどうかわからないが、
言葉そのもの自体は聞き易くなってきた。

「自分の名前はわかる?」

「佐々木・・・・・・・きんさく」

「誰やねん、きんさくって」

「ひでしげ」

「お〜、やるじゃん」

「その息子で、川柳の天才と言われている、イケメンの作家の名前は?」

「・・・・・・・・そんなやついない」

(わかってて言ってるだろ・・・)

2月 14

付き添いの母からの情報でしかないが、
脳波の検査はしなかったらしい。
そのかわり、神経内科の先生が来て、いろいろと診察したとのこと。
蘇生後から、大体2週間程度で普通の会話が出来るはずなのだが・・・と言う。

「こちらが言っている事は理解出来てる。」
「手足にも麻痺はない。」

もしかしたら、別の合併症を起こしている可能性もあるし、
まだしばらく様子を見なければわからないということだった。

蘇生後脳症の回復度合いは、ほんとうに人それぞれで、
たぶん、先生にもこれからの事は予想しにくいのかもしれない。

リハビリのおかげか、身体的な回復は日に日に良くなっている。

まさか、アルコール依存症だったなんてことはないよな(笑)

2月 13

毎日、更新出来るような進展が有ればいいのだが、焦りなのか、そうじゃないのか、いまだに回復の兆候が見られない。

話しかけている内容はきちんとわかっているようだが、受け答えしているうちに自分の世界へ入ってしまう。

主治医は、大体2週間ぐらいで普通の会話が出来るようになるそうだが、素人目から見ても、現在の状態ではほど遠いと感じる。

明日、脳波の検査をするとのこと。
その結果いかんでは、心筋梗塞による諸症状以外の所見が出るかもしれない。

立場上、いつでも最悪のケースを想定し続けなければならないことに少し疲れ始めて来た。

サッカー前日本代表監督のオシムは、脳梗塞から2ヶ月、親父の大好きな長嶋茂雄も脳梗塞から約480日、病気こそ違うが、それを考えればまだ2週間もたってないじゃないかと、自分に自分が叱咤している。