第13回杉野十佐一賞
なかはられいこ・岐阜県岐阜市/「川柳展望」所属
なかはられいこ 選
佳作 下心 ポイント制になっている 青森県 濱山哲也
佳作 靴下の穴からそっと忍び込む 香川県 佐々木ええ一
佳作 下流まで好きに遊んできた雲ね 北海道 澤野優美子
佳作 下味をつけて私をまろやかに 愛媛県 吉松澄子
佳作 軒下の親子に違う雨の音 栃木県 荻原鹿声
佳作 昨日から落下している土踏まず 愛媛県 井上 せい子
佳作 さくらさくら下半身から煮くずれる 福岡県 柴田美都
佳作 ジャンケンに勝って天下を取るつもり 北海道 酒井麗水
佳作 落下注意さくらもみじになるところ 福岡県 柴田美都
佳作 皮下脂肪ですかアワダチ草ですか 福岡県 柴田美都
佳作 地下街へ銀の鱗をつけたまま 愛媛県 井上 せい子
佳作 あれ以来三歩下がっている夫 福島県 浦井千代子
佳作 降りてから下車した駅を確かめる 青森県 田鎖晴天
佳作 下腹部は人の物ではありません 青森県 前輝
佳作 風下で噂が絡み合っている 福島県 江尻麦秋
佳作 品の無いそこも私の部位の筈 青森県 如月烏兎羽
佳作 この坂を下ると地動説に着く 和歌山県 田畑 宏
佳作 行くさきを決めると落下する林檎 埼玉県 戸田美佐緒
佳作 なんとなく下半分は雪女 大阪府 宮本きゅういち
佳作 「元気ですか」といつも聞かれる腋の下 香川県 佐々木ええ一
佳作 後ろ手にくくられにゆく木下闇 京都府 内田真理子
佳作 くさかんむりの下で深入りしてしまう 香川県 小野善江
佳作 風下で天然記念物になる 青森県 北里深雪
佳作 下旬より止まぬくしゃみや雪女 大阪府 宮本きゅういち
佳作 さて「下巻」海の匂いにたどりつく 京都府 内田真理子
佳作 下着干す一番高いとこに干す 愛知県 村井勢津子
佳作 こんな空の下でそういうことを言う 愛知県 宮川尚子
佳作 山積みの下の一体目を開ける 宮城県 広瀬ちえみ
佳作 途中下車すると風船しぼみそう 山形県 舟山智恵
佳作 とりあえずランクを下げてみるか婚 青森県 小田原千秋
佳作 下を見ていたら泉になってきた 愛知県 川崎敏明
佳作 下見した穴へ恋人連れてゆく 滋賀県 遠山あきら
佳作 待ちましょう下の方から咲いてくる 滋賀県 遠山あきら
佳作 下半身は水の時代を漂うて 和歌山県 木本朱夏
佳作 下にある手を引き抜けば鳥の声 愛媛県 井上 せい子
佳作 拳骨をつくる誰にも気付かれず 青森県 堤 文月
佳作 青空の芯をつまんで下りてゆく 和歌山県 田畑 宏
佳作 引力に従いレベル下がってる 青森県 小野五郎
佳作 基準値をやや下回る雪女 大阪府 宮本きゅういち
佳作 食べごろの明日は漬物石の下 埼玉県 南野耕平
佳作 ことばより下かといっていることば 愛媛県 原田否可立
佳作 下向いて上を向いたら冬になってた 愛知県 柳圭
佳作 バターが溶ける目尻が下がる定年後 長野県 丸山健三
佳作 息子にはちゃんと下味つけておく 静岡県 米山明日歌
       
秀逸1 垂れ下がる乳房をとくとご覧あれ 青森県 北山まみどり
秀逸2 誤作動があって貴男が下にいる 青森県 堤 文月
秀逸3 かさぶたの下に新作落語かな 愛媛県 原田否可立
秀逸4 下線引く忘れられない人になる 青森県 渡邊こあき
秀逸5 堕ちてゆく途中はぎざぎざのぴんく 青森県 吉田州花
       
特選 お帰りなさいと便器の蓋が開く 青森県 高瀬霜石

『選評』/なかはられいこ

 今回の選について、主催者側から「秀作、佳作についても順不同ではなく、佳句どおりに」並べるようお達しがあった。つまり、選んだ50句すべて上から下に順序をつけろということだ。これはかなりのプレッシャーである。選者としての力量が試される。あたまの片隅にニヤニヤする悪魔のようなSin氏の顔がこびりついて離れず、選を終えたときにはへとへとになっていた。

 集句を読んでさいしょに感じたことは、「下」という題を露悪的に処理した、確信犯的作品が多いということだった。なにしろ、テキは上下の「下」である。上に比べて劣るとされている「下」である。自虐的になる気持ちは痛いほどわかる。そのむかし、「川柳は白といえば黒というあまのじゃくな文芸」ということばをきいたことがある。でも、わたしは違うと思う。色彩は白と黒だけではない。白といわれれば、青でも緑でもピンクでもいいではないか。
 そういうことを考えながら選ばせていただいた50句である。
「下」という語にくっついた、固い固い固定観念の角っこを、すこしでも突き崩してくれた作品たちと、その作者のかたがたに敬意を表しながら。

 特選に推した作品は、おかしみとかなしみが微妙に混ざり合い、そのうえ人肌のあたたかささえ伝わってきて、とても魅力的であった。この便器はたぶん、センサーで蓋の開くタイプなのだろう。そんなこじゃれたものがあるくらい豊かな生活でありながら、「お帰りなさい」と迎えてくれるのは便器の蓋なのである。家族は不在なのか、それとも帰ってきたひとに関心がないのか。どちらにしてもかすかな諦めを含んだ孤独感が伝わってくる。おかしさもかなしさも、諦観も孤独感も、ラストノートのように最後に残るあたたかみも、そのいずれもが「かすか」なところが上品であると思う。